薔薇(R O S E)


 湯浴みを済ませて、いつものように鏡台の前で座り込んだローズは侍女のステラを待たずに、自分で髪の毛を解き始めた。自分で髪に櫛を入れるくらい誰だってできるだろうに、それを言うとステラが必ず反対する。こういうことはお嬢様はしてはならないのだそうである。

「ああー、お嬢様。またご自分で髪を」

タオルを手にしたステラが隣の浴室から現れた。何千回と繰り返してきたけれど、ステラのお嬢様はいつだって勝手に自分で何でもかんでもしようとする。これではその市民階級の娘となんら変わりがないではないか。ああでもここは英国ではなく、自由の国アメリカだったけれど。

とにかく、お嬢様の艶の良い髪を梳くのが楽しみの自分としては、それは許せないことだ。鏡台に座り込むお嬢様の手から豚毛の櫛を取り上げて、にやりと笑う。

「あ」

「ふふ。油断しましたね、お嬢様」

持ってきたタオルでローズの髪の毛を多いゆっくりと丁寧に水分をふき取る。やれやれと諦めたそぶりを見せて、ローズは鏡越しにステラを見た。そしてあることを思い出してにやりと意地悪く口の端をあげる。

「そういえば、ステラお手製のトマトのキッシュ。あのギリシア彫刻伯爵、殊の外お気に入りだったみたいよ。いつにも増してとても美味しかったし。良かったわね」

それを聞いた途端、ステラは顔を真っ赤にした。

「全く、もう。お嬢様ってば! あの方が着いた時、私達が騒いでいたのを知っていてそんな意地悪を言うんですね。ギリシア彫刻なんていったのは私ではなく、エミリーです」

まあ、どちらでもいいわ、とローズは笑った。

 ステラは頬を膨らませて、タオルを頭から外すとようやく櫛で髪を梳き始めた。毛先にほんの少しだけ癖はあるものの、真っ直ぐなローズ(お嬢様)の髪を梳かすのは楽しい。

乾燥した時には空気を含んでほわほわと宙に舞うが、水分を含んでいるため今は艶やかに輝いているように見える。それにしても、いつも思うが不思議な色素の髪だ。赤毛とは違うし、亜麻色ほど明るい色でもない。

 ではこれは何の色だろうと思案していると、鏡台の前のお嬢様が顔を上げた。

「どうしたの?」

「いいえ。お嬢様の髪の色が不思議で」

「そうねぇ。赤毛じゃないものね。・・・・・えーと、ローテローゼ、だったかしら?」

ローテローゼは薔薇の花の種類だ。深い真紅、クリムゾンレッド。ビロードの手触りのこの上もなく高貴な薔薇の最高峰ともいえる美しい花だ。凛とした佇まいはおおよそ他の花の追随を許さない。

「あら、良くご存知ですね。ああ、というよりお嬢様はたくさん知識を持っていらしゃるから・・・・。けれど花言葉は御存知ですか?」

「花言葉ぁ?」

英国女王ヴィクトリアが治めていた十九世紀に流行し、そして定着していったものだという知識はあったが、いちいちそんなものを覚えていなかったことも事実である。

きらきらと瞳を輝かせて、髪の毛を梳かすことが等閑(なおざり)になっているステラを鏡越しに眺める。今にも放したくてうずうずしている娘が一人。

やれやれ、これは聞いてあげるしか方法はなさそうだ。

仕方なく、それはなに、と聞いてみた。

 すれば嬉々としてステラが話し始める。

「あら? 流石のお嬢様もご存じなかったんですね。ふっふっふ。教えて差し上げます。ローテローゼ、その花言葉は」

コンコンと扉がノックされた。

 今まさにそれを告げようとしていたステラは、タイミングを損ねて途端に口をへの字に曲げた。お嬢様に自分の持っているなけなしの知識を披露出来る数少ない機会だったっていうのに。一体誰だ。

 するりとローズの髪の毛から手を放したステラは扉の向こうを注視して、諦めたように嘆息した。

「お嬢様」

「はいはい。わかった。わかった。誰かしらねー。せっかくの機会だったのにねー。そんな顔をしなくても後できちんと聞くわよ。それより、どうする? 件のギリシア彫刻美男子だったら」

むっふっふと微笑んで、どうせクランスだろうと相場をつけローズは近くにかけておいたガウンを羽織った。ステラは仕方無さそうに嘆息して扉のほうへ歩いていった。

「はい?」

 扉を開けて、ステラは応じた。

「お嬢様はいらっしゃるか?」

聞こえてきた声は執事のそれだった。

「はい。いらっしゃいま      

ステラは執事のそばにいるそれを見て石になった。

「なあに?」






    

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