|
薔薇
ステラの返事を待たず彼女の背後からひょっこり顔を出したローズは、そこにいる人物を見るなり鳶色の目を丸くした。まるで機械人形のように首をこちらに回したステラは、ギャーと叫び出しそうな顔をしていた。
見れば予想は大外れ。いや。ある意味では的中。クランスではなくあのギリシア彫刻の美男子がそこにいた。渋いイイ男だけにローズはちょっと驚いた。ローズは壁に手をかけて、さらにそこにあるものに視線を移した。
「どうしたんですか? ・・・・クランス。顔が真っ赤じゃないですか」
見ればべろべろによったクランスが、次行きましょうよー、次ーなどといいながらアルバート伯に絡んでいる。
「調子にのって酒を飲んでいたらこうなったようです。そろそろお見苦しいと思って引き上げようと思います。ですから、ご令嬢にはご挨拶に」
「ああ、なるほど」
納得した様子のローズを見て、くすりと美男子が微笑んだ。
「もう帰るんですかーぁ。もう一軒、ひっく、いきまひょーよー」
一体どこの親父だ。
ごねる子供のようにアルバート伯の腕に絡みついたクランスを見て、いよいよローズは額に手を当てた。
「結婚後はお酒は控えさせたほうがよさそうですね」
「はあ、まあ。・・・・スミマセン」
やれやれと嘆息して、ローズは指示を仰ぐ執事に眼をやった。視線だけで合図を送り、彼は指を鳴らす。背後に控えていた従僕がアルバート伯からクランスを引き離す。
「ステラ、コンボットに言ってお客様のコートとハット、ステッキをお持ちしなさい」
鋭く言われた言葉にハッと石化がとけたステラは、頷いてアルバートに会釈をし、足早に部屋を後にした。残された執事も一礼をして、どっぷりと睡魔に捕まったクランスを従僕が両脇から抱え階段を下りていくのを見送り、一礼をして階段を下りていった。
ローズはそれを確認すると、目の前の紳士に向き直った。
「アルバート伯。お見苦しいところを。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
小さく会釈すれば、少しばかりその人物が驚いたように眼を見張った。
それから薄く笑うと、ローズの濡れ光る髪の毛が目に入ったようで小さく謝罪した。
「無作法でした。時間を考えておくべきでした、レディ・ローズ。寒くなりましたから、風邪を引かないように」
にっこりと微笑んで、アルバートがローズの頬に手を伸ばす。
ぞわりと体が粟立ち思わず身を引いたローズを見て、アルバート伯は小さく笑った。
「失礼。飲みすぎたようです。あなたは美しい。まるで本当にトロイや戦争を引き起こしたヘレネのようだ。私もパリスのように誘惑に負けそうになりました」
「・・・・どうも、ありがとう」
とりあえず褒め言葉として受け取っておこう。身体を走った怖気はまだここにある。けれどその正体がわからなかったから、とりあえず棚に上げておこう。きっと寒いから、だ考えるようにしよう。
「クランスを、よろしくお願いします」
笑顔を作ろうとしても、顔中の筋肉が硬直して動かない。歪な笑みを浮かべながら、それでも痙攣しないように必死で顔筋を総動員させる。どうにかこうにか笑みを作ったとローズは思い込んだ。
アルバート伯はこちらを睨みつけるように見上げる意志の強い瞳を満足そうに見下ろした。そして、白い手袋をはめた手を差し出した。
とりあえず礼儀としてローズは手を握り返そうと伸ばす。
「今日はとても楽しかった。どうぞまた、機会があれば」
にこりと悠然と微笑し、その手を掴み取ったアルバート伯は青い眼を真っ直ぐにローズに向けながら、持ち上げた手の甲に口付けた。
そして、胸に手を当てて一礼すると階段の方まで歩いていく。
丁度執事のアンバーが上がってきた時だった。
「アルバート様。車が参りました」
「今行く。
声に応じ、しばらく間をおいて、ふと思いついたように彼はこちらに顔を向けた。
油断ならない奴、と認識を改めようとしていたローズははっとして顔をそちらに向けた。
白い手すりに手をついて、彼は思わせぶりにこういった。
「ローテローゼの花言葉は情熱的な、愛。というのだそうですよ」
聞いていたのか、と口から砂を吐きそうな顔をしてローズはそれを見た。
「ギリシア彫刻といわれるのも悪くありませんが、もう少し声を小さくしたほうがいいですよ。お嬢さん」
まるで地中海の青い海そのもののような瞳を眇め、彼は階段を下りていった。
部屋の扉を閉めて、息をついたときにはあの嫌な感覚は消えていた。
「クランスのバカ・・・あんなに酔っ払っちゃうなんて」
乾きはじめた髪を一房つまんでローズはひとりごちた。
『ローテローゼの花言葉を知っているか?』
「え?」
誰もいないはずなのにどこからか声が聞こえた。
けれど部屋には誰もいないし、部屋の外にもおそらく人はいない。それに声は耳元で聞こえた。
|
|||||||