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開幕
美しい女が口を開いて、ちらりと青年と同じ緑色の瞳を向ければ、人ごみに紛れて大ジョッキに注がれた酒を怒号と共にあおる一人の男の姿がある。既に信者のようなものがいるらしく、周囲には群がったチンピラたちが転がっていた。おそらく飲み比べ大会で負けた敗者たちの屍であろう。 「うぉうおおおおおおおおおおおおおおう!! あーっはははははははははは!!」 咆哮のような声を上げながら天井に空になったジョッキを掲げ上げれば、彼の信者たちがそろって腕を突き上げ、大歓声が起こる。 大柄な男は左目に眼帯をし、屈強な身体に張り付いた薄緑色のシャツを着ている。白髪交じりの髪の毛には食べ残しの何かの骨が乗っていた。大柄な体躯の横、そして信者たちにまぎれてよくはわからないが、その傍らでは卵色の髪の女性が、静かにおっとりと微笑んでいる。彼女のほうは静かに酔っているようだった。高潮したその頬がその証である。 「それにしても切り裂きジャックなんて、どんな御伽噺なのかしら。わたくし、そちらのお話の方が眉唾物でしてよ」 不快気に眉を顰めて、さらに酒をあおる。 碧の瞳の青年は曖昧に微笑を返す。 その視線の先でガハハと渇いた笑みを零して、その巨躯が空になったグラスを机の上に置いた。途端にその机の上が真っ二つにわれ、その上に乗っていた皿がけたたましい音を立てて床の上に転がり落ちる。 その音にようやく気付いたらしい女性ははっと我に返り、顔を上げた。 「あ、あの。フィリップさん!! もうちょっと、もうちょっとおなしくしてください!!」 と思えば、今度は卵色の髪の女性がおもむろに座っていた椅子から立ち上がり、椅子を両手で持ち上げる男とはてんで方向違いの場所へ突っ込んだ。椅子を足で引っ掛け、その場に盛大に倒れこむ。 「あらら」 額に手を当てて、エヴァンスが唸れば、傍らで腕を組んでいたエミリアが仕方なさそうに嘆息した。椅子から立ち上がり、カウンターに背をもたせかける。 「フィリップは呑み過ぎですわ・・・・・まったくいつものことですけれど」 「ええ、と」 言葉が見つからず、しかもその分の酒代は自分が出しているなどと、姉にいえるはずもない青年は次第に集まり群がり始めるチンピラたちを見ないように、視線をずらした。 このまま行けば酒の勢いに任せた連中がフィリップに殴りかかり大乱闘が起きそうである。 仁王立ちのエミリアはふんと鼻息荒く息巻くと、腕まくりをして、そちらにつかつかと歩み寄ろうとする。その肩に手を掛けてエヴァンスが引き寄せる。 「まあまあ。姉さん。 同じ顔をした双子の姉の顔を覗き込めば、姉は柳眉を吊り上げて忌々しそうに舌打ちした。よほどフィリップの行動が許せなかったのだろう。その間もフィリップは床で倒れて伸びている女性をそっちのけで、あちこちのテーブルに歩み寄り、客のビールを奪い取ってあおっている。 「おーい!! カトリーナ!! づおぅしたぁ? 大丈夫か?」 瓦礫にうずもれるがごとく伸びている卵色の髪の女性を抱き上げると、野獣のようにフィリップが吼えた。 「おいいいいいいいいいい!! てめーらぁ。だぁれがぁ、カトリーナを」 錯乱している様子のフィリップは怒号を上げながらそこら辺の奴らを引っつかんでぶんぶんと放り投げはじめた。巨体だけに歩く野獣そのものと化している。 「ええ。本当ですわ。この十年間行方不明になっていた暴れ者がようやく見つかったそうですの。この、ニューヨークで、ね」 あの野獣は放っておこうと決心したエミリアは再度カウンターの席に着くと、すさんだ顔でマスターを呼びつけ酒を用意させた。しかたなく姉の隣に座りなおしたエヴァンスは背後で起きていることを自分という存在からきっぱり離して、姉と同じように自分も新たな飲み物を頼んだ。ただしノンアルコールの飲み物である。 エミリアの言を受けて面映そうな笑顔を作ったエヴァンスは掛け値なしの純粋な笑顔で笑った。 「ああ、それで今、Kとクロウ・リーがいないんですね」 仲間の内二人がいないことには気付いていたが、その理由までは確証がなかった。 「わたくし達には伝手があるから、それくらい知っていて当然ですけど。伝手を探ってもなかなか見つからなかったのには何かわけがありそうでしてよ、エヴァ。さあ、あの野獣がこの店を破壊しない内に、わたくし達は準備に取り掛かりましょうか」 目の前に差し出されたグラスに手を向けて、女性はにこりと笑む。 同時にグラスを手に取りエヴァンスが応じる。 野獣とは大ジョッキにビールを注ぎ込まれて男泣きよろしくおうおうと叫び声を上げている男のことである。 「準備、というと。どちらのですか?」 「無論。どちらもですわ、エヴァ。暴れ者を迎える準備と」 「切り裂きジャック、ですね、エミリア姉さん」 拍をおかず打てば響くというように返された答えに満足そうに微笑んで、グラスとグラスを軽くぶつける。そして一気に飲み干しエミリアは椅子から立ち上がった。その傍らで同じく立ち上がったエヴァンスが懐から財布を取り出し、幾枚かの札を取り出すとそれをカウンターの男に渡す。 「フィリップさん。カナリアさん。いきますよ〜」 ひどくのんびりした声で、エミリアの双子の弟エヴァンスは声をあげた。
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