薔薇(R O S E)


車に轢かれた。

むくりと起き上がると悲鳴が上がる。悲鳴が上がって、こっちが悲鳴をあげたいと毒づく。

この国に自動車というものが走り始めて何十年かは経つが、猛スピードで突進してきた車に轢かれて無事でいる女性というものは少ない。

頭は思い切り打つし、唇を切って血は出るしでまったくどんな厄日だとは思ったが、とりあえず死ななかった(無事の)ようである。けれどああ、新調したばかりの服がダメになったのは悔しかった。ピンクサーモンスカートの裾は哀れにも破け、膝の下から、まるで百年の眠りを過ごした吸血鬼(Vampire)のマントのようにぱっくりと裂けている。

パンパンと立ち上がって膝を払えば、どよめきにも似た声が広がる。拍手までする始末だ。一体なんていう国だ、ここは。

まあ、もちろん頭の方は無事だから、自分が今どの国にいて、どのあたりにいるのかも知っている、つもりだ。

ここはアメリカ合衆国(U.S.A)。東海岸に位置するニューヨークという都市だ。自宅は一八五三年に作られたブルックリン橋、その橋を渡った向こう側にあるつまり詳細にいうなればニューヨーク港のあるブルックリン地区のセントラルパークに面する五番街、アッパーイーストサイドである、ということもあわせて思い出す。ちなみに一九〇三年には上流にウィリアムバーグ橋が出来たので交通の主要はそちらに移ってしまった

 立ち上がった娘は腕を組んで目を瞑った。そして何かを考えるようにしばらくそうして、ゆっくりと目を開く。

「ええと。私の名前はローズ・センツァバーグ。よしよし名前はわかってるわね。歳は十八だったか十七だったか。どっちかよ。両親はいなくて、今は養女として暮らしている。義父の名前はエドガー、養母の名前はアンナ。いえ、アンヌ、アンヌよ。兄弟はいないけれど、婚約者が一人いて、名前はクランス・フォン・クライストガーデン。あ、今日クランスが来るんだった。確か友人連れて・・・・」

こうしてはいられないと歩き出そうとすれば、ぶつぶつ言っていた少女に車を運転していた男が恐る恐る声をかけた。少女が独り言を言い始めたのは頭の打ち所が悪かったからだと思い、戦慄したからだった。

「あ、あの・・・・大丈夫で、すか?」

見ればまだ若い青年だ。薄い灰色のベストの下にまるでおろしたての白いシャツがまぶしい。自分はこんな有様だというのに!

 ローズはそれに明るい鳶色の瞳を向けて、むっとした表情でこう言った。

「あなたね、いくら急いでいるといっても人を轢くってどういうことよ? いくら自動車が通るようになったからって言ってあんなスピードでかっ飛ばすなんて! あたしの体が丈夫でよかったわよね、ホント。じゃないとあなた、今頃警察に突き出されて一生刑務所(ブタバコ)入りよ。いい? わかってる? そこのとこ?」

 男はなぜか悲しそうな目をして、自分の車のボンネットを見た。ボンネットは変形し、前も上もぼこぼこだった。少女を跳ね飛ばしたことで全方部分、ヘッドライトのあるバンパーがへしゃげ、ついで跳ね上がった少女の体がボンネットの中央に落ちてきたのだ。しかも黒い煙を吐いて、ぷすんぷすんと不完全燃焼をしている。これではもう使い物にはならない。

 まるで大きな鉄の塊にぶつかったような衝撃で、危うくちびりそうだった。

「聞いてる? ・・・・全く、最近の若い奴らって!」

「はい     スミマセンデシタ」

青年はがっくりと肩を落とした。実は親父の車を黙って乗ってきたんだよね、とは言わない。これから彼女とデートだったとしても、それは全部仕方がない。急いでいたのは事実で、かなりのスピードを出していたのだ。いきなり、何か空を見つめながら道路に飛び出してきた少女が悪いとしても、轢いてしまったのはこちらだから、きっと仕方がないのだろう。無事で何よりだ。これで刑務所入りは免れる、わけないかもしれない。

 というより、跳ねた瞬間ほんとに殺してしまったと思った。真っ赤な血がどばっと出たし、転がった少女は白目をむいて口を開けて転がっていたし。しかもその体からはじわじわと赤い液体が広がっていたし。

 動き出した時は本当に死体が生き返ったかと思ったくらいだ。その証拠にその少女の服には紅い染みが広がっている。いや、よく見ると何かざらざらとした、まるでトマトを叩き潰したようなそんな色。

「あら。こんな染み、あったかしら?」

 トマト色に染まり上げたピンクサーモンのドレスの裾を少しばかり掴んで、広がった染みを確認する。これはなかなかひどい有様だ。本物の血のように見えないこともない。けれどぷんとにおう香りはまさしくトマトのものだったし、血液のあの鉄の錆びた香りはしなかった。そのシミの中には既に乾いたものがあり、少女がスカートを払えば、ぱらぱらと地面に粉のように零れ落ちた。

見れば近くに転がっている紙袋。ころりと飛び出ているのは破裂した、というより踏み潰されて中身が飛び出ているグロテスクなトマトだった。

「ひぃっっ!!あ、ああああ、トマトがっっ」






    

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