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記憶 あれから二日が経った。一向に降り止まない雪のせいであちらこちらは冬に閉ざされている。ローズはあれから昏々と眠り続けていた。今朝目が覚めたようだったが、それ以来誰とも口を聞かずじっと部屋に閉じこもっている。 轟々と音を立てて窓を打ち鳴らすその大粒の雪に不安を募らせるように、誰もが誰かを案じていた。降り止まない雪は凝りのように堆積し、春が来るまで解けることは無い。 いつものように食事を運んでいたカナリアは一つの扉の前で立ち止まった。そしてそれが開かれるのを待った。ややあって開かれた扉の中に入ると、そこには一人の青年がいた。カナリアは彼を優しく見上げた。目には見えないけれど、ローズがいるときの彼の場所はわかりやすい。暖かな空気の塊のようだったから。 「ローズは?」 「錯乱して、さっきようやく普通に寝たばかりだ」 何が彼女を蝕んでいるのだろう。ここに篭もってから時折波のように押し寄せるそれに、クロウはずっと一人で対処している。他の誰にもローズを触らせず、よほどのことがなければ部屋にも入らせない。徹底した管理がそこにあった。Kはもちろんのことあのフィリップは膨れ、エミリアはぷんぷんと怒りエヴァンスはにっこりと笑って凍土の如く怒り狂っていた。カナリアだけは優しくその様子を眺めているだけだったけれど。 「アウレスター博士。いくら不老不死といえど眠らなければ人である体が参ってしまうわ。それにアイザックが指定した日は迫っている。・・・・・あなたがいなくては戦力が大きく劣ってしまう」 だから休んでちょうだい、とカナリアはいった。 クロウは無言でその手から盆を取り、近くの机の上に置いた。 明らかに疲労の色が見え隠れしているクロウは目の下にらしくもなく、クマを作っている。彼はいつもそうだ。ローズの事となると寝食を忘れる。だからこそローズは彼を信頼し、傍に居続けるのだろう。それほどまでに彼にとってローズの存在は大きなもの。また、かつてのローズにとっても。 小さな部屋の小さなベットの上に寝かされているローズの傍に寄ったカナリアは、痩せ細ったその頬を小さく撫でた。 いつも小さな彼女は、誰よりも年上であることで、何もかもを強制され、何もかもを一人で背負ってきた。クロウに言えないこと、言っていないことだってたくさんある。 ぽろりとクリアブルーの瞳から雫が落ちた。いつも泣かない彼女の代わりにカナリアが泣いていたのだ。カナリアは声を押し殺して泣いた。昏々と眠り続ける少女が泣けないから。いつも前しか見ることを許されず、それでも過去と対峙し戦い続けてきた少女のために。 「う」 びくり、とそれの体が跳ねた。顔が強張り、どこを見ているのかわからない眼がむき出しになる。口が開き渇いた唇が割れた。 「あ・・・・あ・・・・・あああああああああああああああああああああああああああああああ」 絶叫が響き渡る。 カナリアを押しのけてクロウがローズに屈みこんだ。その指を口の中に突っ込んで、閉じられた唇、いや歯に噛ませる。 「っ」 僅かに顔をしかめて、クロウはローズを見た。 「ぐ・・・う」 くぐもった声がローズの喉から漏れ、そしてしばらくしてゆっくりと目を閉じる。 くったりと体から力を抜いて、また元のように規則正しく寝息を立てている。 「記憶を奪うって・・・・・こんな、ひどい・・・・・。ローズがかわいそう。いったい、アイザックは何をしたのかしら」 呆然とカナリアは目を覆った。 ひどすぎる。 ローズの口から手を離せば、クロウの手から赤い滴りが零れ落ちた。それはすぐ止まったが、クロウの顔は苦渋に満ちたものだった。気配を察知して、カナリアは目を伏せる。 小さな部屋。ローズが記憶を失う前から使っている小さな部屋だ。本棚と小さな机、寝台のほかには何もない。ここが彼女が一番好きだった場所。そして寝台の下には膨大な日記が今ではもうほとんど失われた文字で書かれている。ローズがいなくなって五年。部屋を掃除していたカナリアがそれを見つけたのだ。途中で乱入してきたフィリップが勝手につかんで読もうとし、失敗した。英文で書かれたものもあったが、その多くは別の言語。年代もまばらだ。 クロウは自分の左手にはまっている銀の指輪を見た。盛り上がった箇所には淡い光を発する薄紅色の石が嵌っている。五十年前誰かに預けたといった彼女が持っていた指輪が、見つかった。それは今、ここにある。 クロウはポケットの中からその指輪を取り出した。薔薇の模様が施されている石だ。なぜか気に入ったからという理由で勝手に買った彼女。同じ石だからお前も持っておけ、と無理やり自分の指にはめた彼女。はめたまま抜けなくなって、百年以上が経つ。けれど本当はいつだって外せたのだ。指を切り落とせばそれを抜くことだって出来た。けれどそうしなかったのは。 「アウレスター博士?」 クロウはその指輪を彼女の枕元に置いた。それを嵌めるのはローズでなければならない。自分の意思で、それを嵌めてほしかった。 「あと二日、だったな」 ぞわりと、体中が粟立つような殺気を放って、クロウは尋ねた。 カナリアははっとして頷く。 「殺してやる」 どうやって、とは誰も聞かなかった。不死者を殺す方法などありはしないのに。ああ、けれどアイザックは見つけた、といっていた。不死者を、仲間を殺したのだと彼はいった。ヘレンと、ケルゼン。 「ローズを、頼む」 扉を押し開け彼がでていった。 カナリアは呼びかけるように今はいないものたちに声をかけた。 「幸せですか?死ねることは・・・・・。死ねたことは。ヘレン、ケルゼン・・・・」 死ぬことができない自分より早く死んでしまった同胞達へ向けて、カナリアは嗚咽交じりの声を漏らした。
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