|
記憶 伸びた爪がリーの肌を穿った。赤い血が滴って、皮膚についた傷はいつのまにか消える。これが私、これが、私たちなのだ。けれど。私以外の人は? 虚空の中にたゆたう。 ローズはそこで目を開けた。 闇で塗りつぶされた空間が恐ろしい。そこの無い闇がそこにただ広がっている。それは、死ぬことではない。生きることすら、闇にしか感じない。 死ぬために生きている。それが今の自分だ。 この悲しみをいったい誰が理解できるというのだろう。 二千年も、行き続けることの苦しみを、誰が理解できるものか。 孤独。誰もいない闇。ここにいるのに、誰か助けてと叫んでも、そこには常闇しかない。拒絶された生。それが自分。生きることを諦めていたのに、それでも行き続けるしかないという自分。喉を穿って、首を切り裂いて、心臓に手を伸ばして握りつぶしても、どうせ、死ねない。 いつの間にか自分は倒れていた。闇の中に横たわっている。体のあちこちから血が流れ始める。けれどそれはきっと流れるだけ。流れ続けても自分を殺しはしないのだ。 何故生きねばならないのだろう。 何故、こうなったのだろう。 間違ったのはいつからだろう。 どこから、間違えた? 生きていても仕方ない、死ぬことすらできないのならば、ここにこうして閉じこもってずっと眠っていればいい。眠ることは得意だ。だって、いつも心は眠っていた。冬に閉ざされ寒さに凍えて。誰かの暖かさを求めて。けれど。もう、疲れた。 疲れきって、もうどうでもいい。 本当に? ああ。もうどうでもいい。何もかも閉ざして、また眠ってしまおう。 目を閉じて、ローズは息を吐いた。 本当に? ほんとうに? ホントウニ? うるさい。と思った。お前に何がわかるのだ、と。 何も知らず閉ざされた何かに見向きもしなかったお前に、いったい何がわかるのだ。記憶の縁に、知ろうとすればいつでも知ることができたというのに、お前は知ろうとしなかったではないか。怖がって、まるで子供のように拒絶して、安穏と暖かい日々を過ごしていたじゃないか。それは、私には無いものだ。お前は、そうしてその陽だまりの中で使って生きていたいのだろう? ならばそうするがいいさ。記憶というお前の中の真実はお前の心の奥で凍結し、閉ざしたままにしておいてやるから。 本当に、それでいいの? それでいい。それで十分だ。それ以外に私はいらない。お前だってそうじゃないか。陽だまりの中がいいのだろう。誰もに優しくされて、醜いもの汚いものを拒絶しきった社会の中で生きていくことを選んだじゃないか。嘘だとは言わさない。それが真実だ。私のように暗闇を歩くことがいやだから、見て見ぬふりをしてきたんじゃないか。私の存在などお前はなかったように扱って、それをいまさら。だからもう、放っておいてくれ。私はどうせ一人ぼっちなんだ。ここで一人、せいぜい閉ざされて消えてやるさ。 それで、いいの? うるさい!! むくりと起き上がったローズはそれを睨みつけた。 ローテローゼと彼が言った深い色の髪。鳶色の瞳は優しさを湛え、自分には無いものを持っている。首には一つの印。首飾り。クランスという坊ちゃんがレディ・ローズに贈ったものだ。薔薇とは、と嗤ったのは自分だ。 ねえ、じゃあその髪の色。あなたの髪の色をローテローゼと称したのは、誰? 私は知らないわ。とレディ・ローズはいった。 暗闇の中で彼女の存在だけが白く光って見える。発光している。まるで、美しい光のように。だとしたら、自分は闇か、とローズは嗤った。 私の知らないことをあなたは知ってる。あなたの知らないことを私は知っている。この薔薇は確かに私の薔薇だけど、あなたの薔薇はこっちでしょう? レディ・ローズは暗闇の中でもはっきり見えるようにそれをこちらに向けた。指に持っているのは薔薇の模様が宝石によってかたどられている銀の指輪。 ねえ、ローズ。これの贈り主は誰? あなたはそれを否定して、氷の闇の中にもぐってしまうの? ローズはそれをじっと見た。自分が気に入って買って、片方は自分に、もう片方は。 これはあなたの薔薇、そして私の薔薇。この首飾りは私だけの薔薇じゃない。あなたの薔薇でもあるの。私はあなただから。 それを否定していたのは、お前の方じゃないか!! 子供の癇癪のようにローズは怒りをぶちまけた。空間が歪んで黒い色が歪曲する。それでもレディ・ローズは引かなかった。 私があなたを閉じ込めている間に、あなたをよく知っている人達に会ったわ。エミリア、エヴァンス、カナリア、K、フィリップ、グランド・ロウ、そして。 リー。
|
|||||||