薔薇(R O S E)


 泥だらけのというより、どう見ても血まみれの服を着ている娘を見て、誰もが顔色を変えた。自然と道が開けていくのも頷けよう。まるでモーゼの十戒だ。市場にたどり着いたローズは八百屋(groceyr store)につくなり、山ほど並べられているトマトの吟味を始めた。赤や黄色、大きさもまちまちのトマトの中から、これはと思う一品を探し出すのは割合難しい。

 おいしいトマトを何とか手に入れなければ、ステラの超お得意料理ほうれん草とトマトのキッシュが食べられなくなってしまう。十二個(一ダース)ほどあったトマトは三つを残して全滅し、全身からトマトの匂いを滴らせたローズは顔馴染みの主人に話しかけた。というより、そちらから話しかけられた。

「ど、どうしたんだい、お嬢さん。今日は、やけに」

「トマト色っていいたいんでしょう? そんなことわかってるわよ。全く、厄介よねぇ。車が走り出して。まだ馬車の方がましだっつーの。ちょっとそこいら歩いただけで車に轢かれるなんて、どんなご時勢かっての」

「く、車に、轢かれたんで」

だらだらと汗を流しながら、髭面の主人がひるんだ。けれどなんということもない。怪我はおろかまるきり無傷だったのだから。ああでも、口の端は切ったかも。けれど今はそんなにずきずきしないし、まあ、いっか。

「新調したばっかの服だってのに。やんなっちゃうわ、全く。今度会ったら殴ってやる」

 スラングだらけのお嬢様。これが名門の出身だと思えばどんな冗談かと思う。けれど彼女は正真正銘の御令嬢だった。

拳を震わせてお嬢様らしからぬ様子のローズを見て、主人は少しだけほっとしたように笑った。いつもの調子で悪態をついている分にはまだ安心だ。

「そういえば、今日。英国からの貴族が来るっていうじゃないか」

「うん。そうなのよ。ええっと、たしか婚約者の元上司で友人? とかでかなりお世話になっていた人らしいわよ。まあ、クランスのおじい様はもともとあちらの方だから、理解はできるけどね・・・・あ、これちょうだい。おいしそうなトマト〜。」

差し出された紙袋に、ローズが吟味したトマトをつめながら主人は神妙に頷いた。

英国野郎(Limey)は気取ってていけすかねぇ。まだ実業家(Yankee)の方がましってもんだ。英国人はライムでも食ってりゃあいいのさ。主食だろう? パンよりもさ

「あははっ。まあ、それはそうねぇ。アメリカ人にしてみれば、英国人なんて、そういうものなのかもしれないわね」

で、いくら、と聞くローズの頭をガシガシとなでまわして、主人はにかっと笑った。髭がもさっと動いた。

いらねぇよ(No thanks)お嬢さん(レィディ)。それよりも今日の首尾、じっくり聞かせてくれよ」

そんなに聞かせるようなことかしら、とふと首をかしげて、ローズは眉根を寄せた。

「どうしたんだ?」

ローズは振り返った。どこから誰かがこちらを見ている気配がしたのだ。振り返った先には人だらけで、こちらを見ているというふうでもない。各々がてんでバラバラのものを見ている。ローズに目を向けるものもいない。

「・・・・・なんでもないわ」

気になることはあったが、ここで言っても仕方が無いだろう。ローズは口をつぐんで袋を受け取った。

「とりあえず、今日は帰ったらこのトマト色の服のいい訳を考えなくちゃ。特にステラにはやんわりと説明しないと絶叫を上げて喉でも突きそう・・・」

「お嬢様ってやつも大変なんだな」

うんざり。ステラは神経質だから、車に轢かれたなんて正直に言ったりしたら頭の髪の毛が一瞬で白くなりそうだ。両親にばれても特にお咎めは無いだろうが、心配なのは自分を轢いたあの青年のことだ。ニューヨークでもかなりの実業家である養父は裏社会にも通じているらしい。ギャング、とかそういうものの類と。一見すると温和な紳士というていだが、あれで怒らせると結構怖い、というコトをこの二年で骨身に染みて知っていた。

家族には優しい養父のことを思い出してローズはため息をつく。

「早いものだな。お嬢さんがセンツァバーグ家の養女になってから、もう二年か」

「そ。生まれも育ちもわからない私をよく養女にしようと思ったものだわ。まあ、かなり感謝はしてるし、したり無いほどだけれど。・・・・けど、困ったことに、戻らないのよねぇ」

 ローズには拾われる前、つまり二年以前の記憶がさっぱりない。外見年齢から換算すれば、十六年間分の記憶がどこかに飛んでしまっているということになる。別に新しい暮らしになじんでいるので、殊更不都合はないけれど戻らないことのもどかしさはずっとある。大切なことを忘れている悔しさ、ある日突然思い出せるならば、今でもいいではないか。その瞬間が今でも。

 複雑な色彩を浮かべる瞳を主人は優しく眺めた。

「まあ、いつか戻るさ。必要ねぇもんなら一生戻らないだろうよ」

それもそうかと妙に納得して、ローズは店主を見た。相も変わらず何を考えているのかわからない髭面の顔だ。

「じゃあ、ありがとう」

「ああ。ちょいとまちな」

「?」






    

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