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薔薇
格好だけ、あるいは顔だけ見れば立派な紳士だったけれど、髪の毛のあちこちはまるで無作法に跳ね放題であったし、本人はそれを気にする様子もない。そこだけが、この目の前の完璧な紳士の欠点のようであった。 立ち止まって、後ろから人にぶつかられていることもお構いなしに、それに惹きつけられる。気付いたのか、いつから見ていたのか、それも立ち止まって、驚いたような目でこちらを見つめている。 その唇が、言葉を紡いだ。 「え?」 声の無い声。驚いて零れた言葉。 「やっと見つけた!」 がっちりと肩を掴まれて、目を見開いたローズは背後を振り返った。 金髪碧眼の美男子が、そこに立っていた。あの青年と同じくらい身なりのいい服装に、ハットをかぶって。手にはステッキと手袋。息が上がった様子で、それは肩を上下させていた。 「 「クランス? じゃない!!」 がっくりとうなだれたままクランスは苛立ったように怒鳴った。 ぱちくり目を瞬かせてほうと息をついたローズは、掴まれている肩をそのままに背後を振り返った。 けれどそこにはいつもと同じ日常があるだけ。あの人物はどこにもいない。きょろきょろと視線を彷徨わせていると、今度こそとばかりにクランスが噛み付いた。 「一体君は!! 何を考えているんだ。物騒な世の中なのに。聞いたぞ、切り裂きジャックがこの辺りにでたんだろう? このニューヨークに! それなのに君は、一体何を考えているんだ。従僕も、侍女も連れずこんなところでふらふら歩いていて」 「だ、だって、クランス。家の中ばかりいてもつまらないでしょう? 私は外に出たいのよ。それに家の中にいてお茶でも飲んでいればいいとお養父様は言うけれど、そんなことばかりしていたらぶくぶく太ってしまうわ」 それだけは絶対にいや。 「あのねぇ、ローズ。君はあの実業家にして、英国の称号もお持ちになるセンツァバーグ卿のご令嬢なんだよ? それがどんな大変な身分だか分かるかい? 君の身柄を捕まえて悪事に利用しようとする輩はこのニューヨークにはごまんといるんだよ」 「私の質問の答えになっていないわ」 通りのど真ん中であるだけにここで立ち話をしていると大変なことになりそうだ。それにかなり恥ずかしい。行きすがりの人々の視線が痛い。 クランスの腕をつかんで歩き出そうとすれば、反対に腕をつかまれて流れに逆らうように歩き出す。手に持っていた紙袋を奪い取られて、紙袋はクランスの腕の中にしっかりと抱え込まれた。 「英国伯爵なんて、このアメリカでは紙くず同然の価値しかないわ。ここは自由の国よ、クランス。実業家が王様。女王も何もない、身分なんて誰も意識していない資本主義国家! サーとかナイト、とか言う称号なんて無いの。それにね、お養父様も一応先祖伝来の土地を英国にお持ちだというけれど、お養父様は英国からこちらに移り住んだ身。爵位剥奪されているんじゃないのかしら」 「女王陛下はセンツァバーグ卿がお持ちの称号はそのままに留めておいてくださっている。そのうちこのアメリカも、女王陛下の御領地になる、ということさ」 車を待たせてある、と彼は言い、それ以上話題が続かないように話を遮った。一七七五年から一七八三年まで続いたアメリカ独立戦争から随分時は経っているのに、まだそんなことをいうつもりなのだろうか。アメリカは既に国として動き出している。それをいまさら御領地だのなんだのと。一体いつの時代の人間だ。 クランスは紳士的で優しい性格だが、時折こうしてジジくさい、都合のよい歴史評論家のような顔をしてローズに一方的に説教をすることがある。 ようやく人ごみの中から抜け出したローズたちは、通りの街灯のすぐ下に黒い車がとめてあるのに気付いた。 「お嬢様!」 ドアを開けて、一人の女性が飛び出してきた。栗色の髪をした丸眼鏡をかけた人物である。黒い外套を羽織って、手にはマフラーともう一着外套を羽織っている。 「ステラ・・・・てことは、ばらしたのね」 「お嬢様!! ご無事でしたか!? ああ、お嬢様。御無事で、キャー!! どうしたんです、その血にまみれたようなトマト色の服は!! 事故にでもあわれたんですか?」 まあ、事故にあったといえばあったのだ。けれどここで言うのはためらわれる。クランスがいるのだ。ローズを轢いた犯人を血の果てまでも追いかけそうだ。だから、適当にごまかすことにした。 「そんなわけ無いじゃない。笑えない冗談はやめてよ、ステラ。これはね、石畳に足を引っ掛けて紙袋ごとこけたの。思いっきりこけたからスカートはご覧の有様。下敷きにしたトマトがはじけて、踏み潰したの」 「ぶっ。お、お嬢様、ケチャップって! あはっ。ケチャップ、ですか」 へたくそなアメリカンジョークに反応して、ステラが思い切り腹を抱えて笑い出した。 クランスはハットを少し傾け、ローズは安心した様子のステラを見てほっとした。それからクランスの腕から紙袋を奪い取った。
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